サイやラクダ、金魚や貝など、細かい描き込みで生き物を描くNatsumi Tanakaさん。水彩絵具のタッチが醸し出す淡く儚い雰囲気も特徴で、作品には《夢を見る》《残り香》といった変わったタイトルがつけられています。なぜ生き物なのか? なぜこのような作風なのか? タイトルの意味は? それらの背景には、Natsumi Tanakaさんの人生そのものがありました。
絵の良さは「自由」であること
ーー学生時代はどんなことを学んでいましたか?
嵯峨美術大学で染色・テキスタイルを専攻し、染め物や織り物を勉強していました。それまでイラストしか知らなかったので、もっと幅広く美術を学びたいと思ったんです。高校時代に嵯峨美に見学に行った時、フィギュアスケート団体とコラボして衣装を作っているのを見て、面白そう、やってみたいなと思って染色・テキスタイル専攻にしました。
でも卒業制作は絵画なんです。2年生の時に服を作ったら満足しちゃって。その後もいろんな染めや織りをやらせてもらったんですが、最終的に、やっぱり絵を描くことがいちばん好きなんだなと気づきました。
Natsumi Tanaka《なにもないあの空へ》
ーー卒業制作《なにもないあの空へ》は、羽の生えたクジラが空に昇っていく絵で迫力があります。コンセプトは「しがらみからの解放」だったそうですね。
私はコロナ禍で大学生になったので、入学したのに学校に行けない日々が続きました。特に2年生と3年生の頃はほぼリモート。美術なんて作業してなんぼなのに、行けないってなんなんだろう、こんなに意欲があるのに何もできないなんて……という思いがあったんです。その気持ちをぶつけました。
ーーリアルな描写だけどファンタジーの要素が足された絵ですよね。マジックリアリズム的、幻想的リアリズム的だと感じました。
あまりそういうことは考えずに描いたんです。絵って自由じゃないですか。それが絵の良いところだと思っているので、自由に描いたらああなったという感じです。
ーーCasieにある作品もArtsyに出品している作品も、すべて生き物の絵ですよね。
それも別に深い意味はなくて、生き物は形があるから描きやすいんです。逆に、空や海は形がなさすぎて、どう描いたらいいのかわからない。大学の課題で色々描いた結果、生き物を描くことがいちばん楽しかったこともあり、生き物を描くようになりました。
ーーNatsumi Tanakaさんの作品の特徴と強みは「線の細さ」と「水彩の淡さ・儚さ」だと感じるんですが、本人としてはどう思っていますか?
私としては、消去法でそうなったのが正直なところなんです。なんとなく形を捉えることが苦手で、描き込むしか方法を知らなかっただけで。水彩絵具は私がいちばん綺麗だと思う画材で、染色とも似ているんですね。たとえば、ろうけつ染めは何回も色を重ねて染めるんですが、水彩も同じだなと思っていました。それに、ベタッとした色を重ねると線画が消えてしまうので、線画を活かすのは水彩なのかなと思っています。
いつかは色褪せてしまう思い出を、忘れないために
ーー個別の作品についても聞かせてください。個人的には《夢をみる》という作品が気になっています。サイの絵ですが、ツノがクリスタルになっていて、そのツノには草花が生えている。きれいな絵だけれど全体的に悲しさが漂っていて、痛みを感じます。じんわり広がる赤い色も、もしかして血なのかな?と思ったり……。
たぶん私、ハッピーな気持ち全開では絵を描けなくて、どこかで負の気持ちをぶつけるように描いているんだと思います。だからそれが伝わっていて嬉しいです。ツノの中に生えている植物は思い出を表しています。思い出はいつか絶対に色褪せてしまうけれど、忘れたくない、思い出を閉じ込めたい、そんな想いで描きました。
ーーつまり「忘れてしまう」という前提があり、それがこの作品にほのかな悲しみやある種の諦念を漂わせているわけですね。具体的にどういう思い出なんでしょうか。
ひとつの思い出に絞ってはいないんですが、もう会えない人っているじゃないですか。そういう人にまつわる思い出ですね。そういった気持ちが他の作品にも反映されていて、たとえばラクダの絵もそうなんです。
ーー《残り香》ですね。この作品も《夢をみる》と似た印象がありますが、このラクダには、先ほどのサイほどの悲しみは感じませんでした。
実はこの作品には、祖父を亡くした私の実体験が反映されています。ある時、祖父母の家でふと、もうこの世にはいない祖父の匂いがしたんです。「あっ、おじいちゃんや」と思った時、しぜんと涙がこぼれ落ちて。でも悲しみとは少し違って、「ああ私、おじいちゃんのことを思い出して泣けるんや」という感じで、なんだかあたたかい気持ちになれたんですね。だからこの絵にはサイほど悲しい印象がないのかもしれません。
ーーたしかにこのラクダは、幸せそうな顔をしています。
伝わってますか? この作品を発表した時の個展は、特に表情を大事に描いていました。
ーー作品内の動物の表情に注目すると、より作品を理解できそうですね。ラクダの背中に生えているのは何の花ですか?
アツモリソウという花です。花言葉は「君を忘れない」。この絵に咲かせる花はこれしかないだろうと。ちなみに根っこを描いたのは、こんなふうに記憶にこびりついているんだということを表現したかったからです。
ーー「こびりついている」というワードに想いの強さを感じます。一方、同じ動物でも、らんちゅう(金魚)をモチーフにしたシリーズ《のらりくらり》はだいぶ雰囲気が違いますね。草花も生えていません。
この作品は実験的にペンを使わず描いてみました。ペンが私の強みだと言われることがあるので、その強みをなくしたら自分の絵はどうなるんだろうと思って。だから以前の作品とは根本的に違っていて、《夢を見る》や《残り香》のようなエピソードはないんです。らんちゅうを選んだのは、鱗がいっぱいあって描きやすそうだったから。やっぱり私は、描き込む以外にどうやって絵が完成するのかわからないんですね。
絵とは、日記のような日々の記録
ーーすべての作品に共通するテーマはありますか?
「見た人を幸せに」みたいな思いで絵を描くことができなくて、私は自分のことしか描けないと思っています。だから、繰り返しですが、どの作品もハッピー全開ではないと思うんです。私の日常はわりとハッピー全開だけれど、それもいつかは終わるものだと思っていて。もしかしたら「幸せな時間も辛い時間も永遠には続かない」みたいなことがテーマなのかもしれません。良いも悪いもすべて終わりが来ていつか忘れてしまうから、その時の自分が感じたことを絵に残しておきたいと思っています。
絵を描きたいと思うのはいつも心が強く動いた瞬間です。昔はそれがネガティブな心の動きだったけれど、今はそうでもないんですよね。だから最近ペン画がしっくりこないのかも。表現したい気持ちとペンが合ってない気がするんです。ペンの黒がジャマしているというか、その暗さと鋭さが不要だと感じるんですよね。
ーー「ペンの暗さと鋭さがジャマしている」ですか。面白いですね。学生時代の作品を見ると、今よりもっとテーマ性がはっきりしていますよね。たとえば《hug》という、コアラがハグしている作品。
Natsumi Tanaka《hug》
あの頃は悲しみに全振りの時期だったので、ペン画でもひたすら描き込んで熱中するのが合っていたのかもしれません。
ーー他にも《綺麗なまま魂だけが空へ飛んで行った。》という作品も素敵でした。これら2作品は明らかに「生き死に」や「命」、 あるいは「心で感じること」をテーマにしていますよね。こうした作品を《のらりくらり》と比べると、Natsumi Tanakaさんの中でテーマが変わってきていることを感じます。
Natsumi Tanaka《綺麗なまま魂だけが空へ飛んで行った。》
使っている色も違うんですよね。昔は原色を多用していたけれど、今はもっと柔らかい色を好んで使っています。色も道具も、昔使っていたものが今の気持ちには合っていないと感じていて。だから、絵を見れば、その時自分がどんな気持ちだったか全部わかります。私にとって絵は、日記のような日々の記録だと思っています。
自身に起きた大切なことや忘れたくないことを、生き物の姿に託して作品にするNatsumi Tanakaさん。本人が「自分のことしか描けない」と語る通り、きわめて私小説性の高いアーティストだと言えるでしょう。
私たちは、彼女の作品を鑑賞することで、彼女がこれまでに見て感じてきた人生に関する細かい考察を受け取り、共感したり、見惚れたりするわけです。それは、人と人とが交わしうるもっとも濃密なコミュニケーションのひとつかもしれません。
かつては悲しみや喪失をテーマとし、現在はそれがポジティブなものに変化してきたというのも、真摯に自分の人生や感情と向き合っているからこそ。この先、彼女の作品がどのように変化していくのかも楽しみです。
Natsumi Tanaka