パラレルワールドか、現実か。あの日から、絵を描く運命だった
岐阜県出身、岐阜県在住。元々は、建築の仕事をしていたが、緑内障の発症により右目の視力をほとんど失う。その頃、手術を受けたことをきっかけに絵を描き始める。その後、日本各地での個展や、海外のアートフェアへの出展、ニューヨークでの個展など精力的に活動するも、頼りにしていた左目の視力も悪化。失明への恐怖感と闘いながらも、新たな表現や可能性を追い求めて 活躍する。
吉野さんが描くのは、現実世界とは少し離れた、どこか妖しくも美しい世界。違和感すら感じる。その風景は、自身の心境から生まれるものがほとんどだという。
- 「ちょうど...
パラレルワールドか、現実か。あの日から、絵を描く運命だった
岐阜県出身、岐阜県在住。元々は、建築の仕事をしていたが、緑内障の発症により右目の視力をほとんど失う。その頃、手術を受けたことをきっかけに絵を描き始める。その後、日本各地での個展や、海外のアートフェアへの出展、ニューヨークでの個展など精力的に活動するも、頼りにしていた左目の視力も悪化。失明への恐怖感と闘いながらも、新たな表現や可能性を追い求めて 活躍する。
吉野さんが描くのは、現実世界とは少し離れた、どこか妖しくも美しい世界。違和感すら感じる。その風景は、自身の心境から生まれるものがほとんどだという。
- 「ちょうど2000年頃、緑内障で右目の視力を失ったんです。その手術をすると決まった時、直感的に『絵を描きたい』と思ったんです。今なら描けるかも、と」
それまでは、本格的に絵を描いたことがなかった 吉野さん。直感的に生まれた思いを頼 りに、画材屋さんへ向かったという。
- 「最初に描いたのは、花火の絵でした。美しいけれど儚い花火というモチーフは、当時の自分の心境を 表していたのかもしれません。」
それからというもの、吉野さんは絵の世界にのめり込み、国内での展示はもちろん、海外 のアートフェアや、ニューヨークでの個展など、精力的に活動した。
- 「交番や病院などの変わった場所も含め、色々な場所で展示をしましたね。画廊に売り込みに行っていた時期もあります。」
こんな時代だからこそ、アナログなものに価 値を感じるのではと吉野さんはこう話す。
- 「絵や音楽は、人間にとって、心を癒したり、生活をよくするために必要なものだと思うんです。」