1982年 岐阜生まれ
2005年 東京学芸大学芸術文化課程美術科日本画専攻卒業
2020年 水墨画家 土屋秋恆氏に師事
小さい頃は美濃の山間の、祖母の家の真下を流れる板取川で一日中を過ごしていた。土や水、風の記憶が感触を運ぶ。
21世紀の幕を開けた頃、美術を学ぶために上京し、誘われて訪れたストリートダンスのサークルにて、身体表現の楽しみを知る。その後ジャズやバレエ等ひと通りに触れて、動きの美しいものとそうでないものの違いの根源が知りたくなりヨガの道へと進む。ヨガを通して人の認知機能や身体性、自然美についての探究を進める中で、水墨画と出会う。
一度ヨーロッパに住んてみたい...
1982年 岐阜生まれ
2005年 東京学芸大学芸術文化課程美術科日本画専攻卒業
2020年 水墨画家 土屋秋恆氏に師事
小さい頃は美濃の山間の、祖母の家の真下を流れる板取川で一日中を過ごしていた。土や水、風の記憶が感触を運ぶ。
21世紀の幕を開けた頃、美術を学ぶために上京し、誘われて訪れたストリートダンスのサークルにて、身体表現の楽しみを知る。その後ジャズやバレエ等ひと通りに触れて、動きの美しいものとそうでないものの違いの根源が知りたくなりヨガの道へと進む。ヨガを通して人の認知機能や身体性、自然美についての探究を進める中で、水墨画と出会う。
一度ヨーロッパに住んてみたいと訪れたバルセロナ、たまたま見かけた向こうの記事で、現在の師匠である土屋秋恆氏を知る。帰国後、氏が主催する墨閃会にて、円山應擧の流れを汲む古典技法を基軸とした、水墨画表現を学ぶ。
手先だけで描くのと、全身の連動でひと筆を弾き出すのとでは、墨の軌跡は雲泥に違う。ヨガ講師として10年以上、人の身体と動きの本質を見つめてきた。その中で、身体にはこれまで出会った人や経験した出来事、生まれ育った土地の記憶が深く刻まれているということに気がついた。動きとは、生き様や縁の連なりそのもので、その動線をありのまま映し出す表現方法が水墨画だった。水墨画は、ごまかしもやり直しもきかず、一度筆を取れば最後に落款印を押すその時まで、決断と覚悟が続く。余計な意図を手放し、無意識や自然界から流れ込む力を受け入れる時、身体がすべてを、ほんとうを語り出す。
たとえば古典にならって花を描いても、今の時代を生きる身体を通せば花は、今に咲く。自然はただそう在る。モチーフに自然物が多いのは、その臨場感を表現するためである。
墨と余白の境界は、行動と想像の分岐点。余白は、無限の可能性を湛えている。何もないように見えるその空間には、すべてがある。日本、地球、そして私たち自身の可能性へと開かれている。
境界の再構築と可能性をテーマに、水墨画の伝播に尽力している。
在住歴は2012-13年にミャンマー・ヤンゴン、2018-19年にスペイン・バルセロナ。
墨閃会2023年社中展 大賞受賞。